昭和54年8月18日 ●② 月次祭 大坪かよこ
十六日の夏期祈願大祭、共々にごひれいに浴したわけでございますが、そのごひれいに浴した中に、私の従兄弟が久留米におります。
大坪十蔵というんですけれども、今までは何か知らん、お付き合いに参っておった、というような感じでしたけれども、何か止むにやまれない、急き立てられるような思いで、ま、お参りをして来たと。御大祭が済んで私の部屋にやって参りまして、長男の嫁をもらいました。
その親は、・・?にもなりましょうか、それがたまたま城島教会の総代の娘さんだ。私もあちらに参りました時に、夫婦の部屋に実意丁寧という、そのあれが書いてありますもん、あの、色紙にあれが上げてある。聞いたらそんなふうでした。
城島教会の総代の娘である。それまではそんなに感じ無かったんですけれども、今度娘を宮野陣の方にやりました。ところがそこが今度は宮野陣教会の総代であると。いや総代ではありません、けれども、あちらの信者であるということ。
たまたまここの外科の名護さんに入院しております時に、嫁が、その、私の従兄弟の子になるのがここにお見舞いにお母さんと二人で来てから、帰りがけにここは私の方の本家でございます。何のそんなこつのと、ほんならあんた、かたうちも金光様の信心せんといかんじゃないのというようなことから、今度の御大祭にあちらの娘の嫁いっとるところのお母さんと、それから私の従兄弟になりますとが一緒にお参りをして来とりました。
感じなかったけれども、娘を二度目にこうやって、そん二度とも言うならば、お道の信心にご縁のあるところに、から貰い、またはやったということがです、帰ってからその嫁ごが、創価学会なんです。だからもう全然いろんな所へ参ったらいかんとやかましい言うんだそうです。
けどもお前あげん言うけれども、おれんところは始め両親は、ね、善導寺の金光様にお参りしよった。俺どん子供の時にっんのうち参りよったから、よく知ってる。けどもおまえが来てから金光様のこの字も言わんごとなったけれども、こりゃ何かやっぱ先祖のお働きがありよるとぞと言うて話したという話しをしております。
皆さんでもこうやって合楽にご縁を頂くからには、それなりの、それこそ神様のもようしにもようされたお働きの中にあって、御縁を頂き、その御縁が段々深い御縁になって、ね、おかげを被り、ね、御神徳を受けて、御神徳の世界にも住まわせて頂こうかというほどしのおかげを頂かなければいけません。
昨夜、合楽会で、もう十二時過ぎてました。下がっておりましたら、お届けが、誠二君からです。
今日、母が久留米にあの雨風の中に娘が来とったから娘をに送っていった。もう大変な雨風で、もうその自動車が吹き荒れるようにあった。それだけではない、なんかふらっっと眠っただろうというのです。秋山さんが、ね、ほいでその、もっとらっと田んぼん中に放り込んどんなさるわけ、いやそれがほんなこつそうじゃったそうですたい。
後ろにあの四つか五つになります、あの孫を乗せとったげなもん。
けん、あんたどげな気色したのちゅうたら、ふわっと落ちたよち。おばあちゃんまた入れてねちゅうたげな。
そげんもっとらっと入った、おかげで自動車もね、そのそでもせずに、ま、行き通う人達の親切も受けて、ま、おかげで無事だったというそのお届けが夕べございました。
で、今朝からまたお礼に出て見えてから、今の孫が話した話をね、ふわっと落ちたげな。そしてから気持の良かったげな。じゃけんまた、また入れてね、ちゅうたげな。
ね、私どもが信心をさせて頂いて、そういう、たとえばおかげに終始することなしにです、ね、その大元にある神様の願いを気付かせてもらい、ね、ただ災難よけや病気治しの神じゃない、心直しの神じゃと仰せられる、そこんところに取り組ませて頂いての信心をしなければなりません。
これも私の方のまあ、私の父達の二従妹、私どもは、従妹ですから、私どもは二従妹になる。
もう久しぶりで、今日参って参りました。
ほいでお届けを致しますのに、まあ、ずいぶん金を儲かって、ま、それこそ、ま、夫婦がゆくっり一生暮らせるような財産もでけた。
そして、ま、安楽、安穏に暮させて頂こうと思っておった。
ところが二番目の息子が東京に出て、ある事業を思い立って、そのお金を出してくれとこう言う。
毎月何十万ですから、送れば、ま、利を送れば、ま、あんたたちもゆっくりやっていけるじゃないか、銀行に入れるよりよかよちゅうもんじゃから、は、息子もだいたい信用しとる息子ですからね。ところがそう思うごとばっかりいかん。初めの間はきちきちと送って来よりましたけれどもここ一年、二年、ね、二カ月遅れ、三カ月遅れしとったが、もうまるっきり送って来んのようになりましたという。
どうぞ一つおかげを頂くようにと。だから、やあやあいうてもでけんから、そりゃあの送ってくれん方がつらかろうけれども、やはり事業なら事業がおもわしくないのだろうから、事業のま、繁盛するようなおかげを、こりゃお願いしておかげを頂いてでなからにゃつまらんよ、というて私がお届けさして頂きよりましたら、この人の従兄弟に、あ、兄弟に、これも私の二従妹になります人です。
●② その人が林田茂、という今甘木におります。
その林田茂というのに、田という字を消して、林茂と頂いたんです。
はあ、ここだなと、信心のある者とない者の違い、いや信心はあっても、おかげだけに終始するのではなくて、ね、これが御神徳であろうか、これが力であろうかと思うような力を頂いて、ね、おかげを、いうなら信心の本当の願目に触れての信心になっていかなければならないなと、ま、思わせて頂いたことでございました。
皆さんは合楽で御理解を頂き続けておる人はすぐ分るだろうと思う。
林茂ということがどういうことなのか、林田茂ということがどういうことなのか。
ね、林というのは、木を二つ並べて書いてあります。もうそれこそ夫婦のものが一生懸命、久留米である商売をしました。
ね、商売というが床屋さんですから、二人で一生懸命やった。そしておかげで儲かった。ね、一生、も、安気安穏で暮らせるだけのものがでけたから、田舎の方へ家を建てて、も、これから好きなことどんしてから、過そうとこう思ったところが、あにはからんやであった。
息子がこのまま失敗どんするなら、これこそ何十年間二人が力を合わせて、ね、茂、茂って来た、それが一辺に枯れてしまうのではなかろうかと、今不安なのがその夫婦の心の状態なんです。
ね、で、私どもが信心させて頂くということは、これに田を頂かなければならない。
ね、ここで?田というのは、おかげの受け物、受け場である。
一反のお徳を頂けば毎年、ま、仮に一反に十俵のお米がとれるとするならば、十俵づつの収穫がある。
これが二反になれば三反になれば、一町になれば、その十倍の百俵というお米が毎年収穫されることになる。
限りがない。ね、この田んぼがね、小さい田から大きい田へ、も、限りがなく繁盛していく、いうならば今朝から頂きます楠木太りのおかげの頂けれることが、楽しゅうなり有難うなるという信心をさせて頂かなければいけんのです。
ね、もう一か月も前でしたでしょうか、ご心願に、もう薄暗い、薄暗いというよりもなんていうでしょうかね、どすぐらいというような雰囲気の中に、この山坂のようなところを一生懸命登っておる。
もうそれが沢山な人が登っておる。
めいめいに大黒様が持つような袋んごたっつを担いでおる。
ね、こういう、こう体を二つにして、この坂を一生懸命登っておる。その一生懸命登っておる向こうには、もうきりがない。限りがない。どこまでが頂上やら分らない。
それをどれだけあるやら分らん沢山な人達が、それこそ、どずぐらい、薄暗い中を一生懸命登っておる。
徳川家康という人が、ね、この人生というものは重い荷物を持って担いで道を歩くようなものだと言うたそうですけれども、ね、教祖金光大神様の教えを頂くと、そうではないです。ね、そういうどすぐらい、薄暗い、もう我情で、我欲でいっぱいで、ね、それこそ一生県命におかげを、ま、働きに働いてです、ね、そして先日佐田さんのお話じゃないけれども、ね、ずいぶん働いてきた、人のためにも家のためにも働いてきたつもりだ、あんたが知っとる通りだというて、佐田さんに話されたという。
ところが佐田さん、私はこの頃、ね、死ぬるということを思うたら、もう怖くなってね、照り合わせて信心のあるものと無い者の違いの、相違点を感じた。
私どもが日々、とにかく本心の玉を磨くものぞや、日々の改まりが第一ぞというところに取り組んで、それを合楽理念を持って家庭生活は、商売は合楽理念を持ってするほかはない。家庭生活は、そして健康管理は合楽理念を持ってするほかはない、ということのためには、磨かなければならない、改まらなければならない。
心が、どういう医者から、もうあんたは難しいと言われても心が動かない。安らいでおる。おかげを頂いてそれこそ医者が難、医者がとにかくたまがるほどしのおかげを頂いておる今日、合楽理念は、健康管理は合楽理念を持ってするほかないという確信に満ちた日々生活がでけておるということ。
この心の状態がこの魂が、あの世へ行くのであるから、不安とか怖いとかというようなことは私にはなかろうごとあると思ったときに初めて、ね、いうならば、神様、親のある子とない子ほどの違い、信心のあるもんとないもんの違いを感じたという、この頃婦人会の時に発表されたお話を皆さんに聞いて頂いたですが、ね、そういう開きというものが出来てくるような信心を頂きたいんです。
自分の心を見たときに、は、恐ろしいごとある心を持とる、汚い心だなと、これじゃそれこそ極楽行きはでけんぞと思うから、いうならば怖いのであり、いうなら終着駅に近付いて来ることが、淋しゅうなってくるんです。
ね、合楽理念を持って、ね、するほかにないということはね、結局、根本は磨くのであり、豊かになるのであり、大きくなるのであるということなんです。
ね、私はいつも朝の御理解を頂いてから、ほんとにあの皆さんにいつもそれを言うようにです、も、合楽の御理解というのは、私の話じゃないばい、ね、神様から頂いたもの、そして教典で頂いたもの、すと私の体験とが、こう一つになって、お話出てくる。
しかもそれが懇切であれば丁寧であればある程に、神様が手をつかんばかりにして氏子信心して、いや本当の信心をしておかげを受けてくれよというておられる心がここに聞こえるようにある。
また聞こえるような思いで頂かなければ合楽のお話は無意味である。
ただの話に終わらせてはならない。
ね、今朝からも、私頂いておりましたことをま、聞いて頂いたんですけれども、末永先生のいわゆる南米布教のことに、とにかく私が、先生があちらに参ります時に、金光様にお取次ぎを願った。
末永先生を通してお取次ぎを願わして頂いて、ね、ブラジル布教とは言わなかった。私が南米布教に、して頂きますと、どうぞおかげを蒙りますようにというて、申しましたら金光様が大変お喜びで、ま、たくさんのお言葉を下さったということでございますけれども、その南米布教のことを夕べも、そのことをま、思い耽らして頂いとりましたら、神様からなんこうということを頂いた。
ね、なんこうというのは、楠木正成のことを楠公と申しますね。
木辺に南と書いてある。公はおおやけという字であります。
ね、木は心である。私の心が、もう体はここだけれども、私の心はもう南米中をこうかけ廻っておる。
ね、いわゆる心が南というのである。それにはほんとに、南米布教がでけることのためには、いよいよもって、公、自分のことではない、大きな、いうならばおかげを頂かせてもらわなければならない。
ね、合楽で沢山な修行生の方達がみんな、海外布教を願っておるが、ね、そういう方達が合楽理念を引っさげて、世界万国いたるところに布教に出らせて頂けれるほどしのおかげも頂きたい、また銘々にそういう力を頂いてもらいたいと思う。
そしたら神様から次に応接台である。大きな応接台、ま、紫檀か黒檀かで作ったであろうと思うような二人でやっと抱えるというような、その応接台の位置を変えておるところを頂いた。
応接台というのを字で書いてみてごらん、横ぞに、タイトルに漢字で応接台と書いてある。ね、人に接する、人に、それに応ずる、それはもうム口、台というのはム口と書てある。
もう黙っておっても相手に通ずる。ね、今日の研修のときに、重量感があって、しかも尊厳な、いうならば取次者にならなければならない。
三代金光様が良いその見本であった。
どういうお願いを申しあげても、お礼を申し上げても、お詫びをさせて頂いても、金光様のはい、はいで、お詫びが叶い、願いが叶い、ね、お願い事をお取次下さった。
ね、もうそれこそ、威あって丈からずという、あの御態度、それはどういうところからああ言うふうな御人格が産まれられたかと、ね、それこそ、泣く泣く辛抱しいしい、座っておりましたら、思うこともなくなり、欲しいものも無くなり、ね、ただ有りがとうて、有りがとうて、そのお礼の足りないお詫びばかりを致しております、と仰せられるほどしの内容が、信心辛抱し続けておられるうちに開けて来たということであります。
しかもその信心辛抱がね、はっきりとした親様が座っておれば楽じゃと仰せられたからであった。
ね、いわゆる真の信心のいうならば、根本にもならして頂こうという親孝行の心が、ね、金光様をして七十年間と、もうとにかく、人としてこういう、いうならば御修行をなさった方が又とはあろうとは思われんほどしの修行を成し遂げられた。
私どもお道の教師たるもの、また、教師としての修行を致しとりますもの、そのよい手本を手本として、あのようなおかげの頂けれるようなひとつ工夫をしなければならない。
ね、かというて、黙って治めるということを皆さん一生懸命やっておりますけれども、この人と応対した場合、相対した場合、ね、こりゃどげなふうでしょうか、ちゅうて黙ってとる。
腹けちござるとじゃなかろうかち思われるごたあるこっちゃいかんもんね。
ぶーっとして、物言わんなら腹けちゃるかと思う。ね、そういう時でもね、いうならば、いらんことは言わんでも、も、それこそ、はい、はいでも良し、ああそうですねでも良し、うん、そうね、というてにこにこ笑とるだけでも良いような、内容を頂きたいというのである。
ね、ためには私どもがね、それこそ合楽理念を持って様々な信心修行をさせて頂いて、合楽示現活動に参画するといったような働きの時に黙っておるというわけにはいかん。
自分の頂いておるおかげをほんとにこの人にも分ってもらい、伝えたい時にはやはり、一生懸命お話もしなければならない、そういう信心を、一つの基礎土台として、段々おかげを頂いていくうちに確信が生まれてくる、安心が生まれてくる。
ね、心の中に豊な喜びの心が生まれてくる。
どういうがたがたしなければならないような時であっても、ね、その人がおれば安心だというようなおかげが頂けれるようになってくる。
昨日、大祭に親戚からあっちこっち、お参り、あの来ておったり、泊ったりしておりましたから、それがみんなで三十名ばっかり、うちのあのバス一杯で、昨日はもう、今日みんな帰りますから、浮羽郡の方へぶどう狩りに行くという朝、お届けがありました。
で、私そのことをお取次ぎさせて頂いて、そして、ぶどう狩りが終わったなら原鶴にでも回って、そして温泉でも入って、そしてあちらで夕食どもさせて頂いて帰ってきたらいいたいとこう、私は思うて神様にそのことをお願いさせて頂いた。
で、午後からこちら下がってきたら、模様が変わっとる。
久留米行きにしました、ちゅう。
そら、私はそりゃブドウ狩りの方がようなかのと、神様にお届してあるからと、申しましたけど、も、久留米行きの方に、ま、皆が賛成するから。
私は何とはなしに心もとない感じがしたです。若先生も行きゃ、光昭も行くんですから、ほんとはもう二人の子供たちが行くから、ま大丈夫でなからなきゃならんのだけれども、何とはなしに、心もとない気がした。そういうお届けをした後に、椛目の池尻が、お参りをして来て、そのお届けを致しました。
そん時にね、はー、この人が行くなら大丈夫という気が致しましたがね。
私はね、神様に信じられるということ、それがそのままね、いうならば世の、ま、私が行きますから大丈夫ですというような人には任せられない感じがするけれどもね、私はそういう感じを受けたんです、昨日は。
ね、だからそれはなら池尻の日頃の信心というものを私が良く知っとりますから、こういうものが、段々育って行くことだなというふうに思います。
ね、人に接するときに、それに応じて答える時に、いうならば、無口のような心の状態で、も、無口で言わんでも済むほどしの豊な心を頂いて、おかげを頂いていく。
末永先生が今南米布教のことでいろいろ、いわゆる本当の宗教家としてでなからなければ、渡米ができないという状態になって、もう、普通からいうならできないというほどしのことになっておりますけれども、その間をです、なら一生懸命、何を頂き、そして何を心の中に頂いていくかということは、ね、それこそ応接台であり、楠公である。
楠木正成とは、ね、ここでは大きな信心が頂ける、楠木太りということが言われる。
ね、楠木というのはなんぼでも大きくなっていけれる木である。
ね、その楠木、正しく茂る、それこそ、合楽理念を全南米の津々浦々にまでも広げて行こうかという野望にも似た願いを持っておる。
ね、そういうおかげを頂く、いわゆる楠木太りのおかげがです、南米の地におかげを頂いてくためには、どうでもこの応接台のおかげを頂いとかなければならない。
言葉は分らない、色も違うけれども、ね、言葉は、いわゆる言わなくても、話さなくても、ね、あすこに座ってござる先生の顔色を見ただけで、ね、三代金光様の時代に私どんそれを思いました。
金光様のご表情だけで、こちらに腹が決まったり、有難いと思うたり、はあ、これは改まらんやいけんなと思うたりしたでしょうが。
ね、だから、言葉は分らなくても難儀な氏子が集まって来て、取次の先生の顔色を見ただけでも助かっていくおかげを頂いていくというというその内容を、今こそ作っておかなければならない時だなということ。
私は今日公子先生がお届け致しますのに、今日の朝の御理解を頂いて驚きました。
私は今朝方からお夢を頂いて、いわゆるビリグイ教会の、今管理をしております新田という人に、うちの先生が、ていうから末永先生のことですね、うちの先生が、新田さん、あの三代金光様のように人が訪ねてきたら、はい、はいというときゃ必ず助かりますよというておるところをお夢に頂いたという。
いやあ、今朝の御理解はそのまま、あんたが頂いとったたいねと言うたことでした。
ね、それこそはい、はいで人が助かるほどしの、ね、いうなら、内容をいまこそ頂いておかなければならない時だということになります。
ね、お猿さんが柿の種を、ね、カニが大きなおにぎりを持っておった。
それでそのおにぎりと、柿の種を交換した。ね、カニはそれを植えて、それこそ早く根を出せ柿の種、早く根を出せ柿の種、早く、早くなんでしたかね、とにかく実が実れというて、その肥料を施したり、水をかけたりした。おかげでもう沢山な柿がなった。
ね、ところがどっこい、自分では登ってちぎれないところへまた猿がやって来た。
わたしが登ってちぎってやろう、というて、その柿をちぎって自分だけが食べておる。
だからこちらにも投げてくれ、というたら、青い柿の実をその、柿を、カニをめがけて投げつけた。
ね、ぺちゃんこになってしまった。そこで子ガ二がね、仇を討ちたいけれどもせんがない。そこへハチとか臼とか、まいっちょはなんだったかね、栗じゃったかね、やらがね、その集まって来て大変気の毒だ、可哀そうだ、仇打ちをしてやろうというて、ま、サルをとっちめて、仇打ちをしてやったという話でございますけれども、ね、どうぞ信心のない私が今日さっき申しましたように、それこそどす暗い、まっ暗い中を我情我欲でいっぱい、徳川家康はいざ知らずだけれども、それを担いで登るのが人生だではなくて、その登っていくことも、荷物を持って行くことも、力を得ることのためのそれであり、お徳を受けるための明るい世界へ切り替えがでけない限り、この人たちがいつになったら助かるかということを思ったら、この御理解を頂くときに私は二、三日間悲しみでたまらなかった。もう世の中のほとんどの人がそれを登ってるからです。
ね、そして私は二、三日した時の研修の時に、ほんとに自分の心に頂かして頂いたこと、こういう人達が助かるということは、ね、も、いうなら合楽理念による他はない、回れ右をする、いわゆる生き方を身に付けて行く以外にないけれども、言うて聞かしても分ろうとしない、人達が助かる場というものはないだろうかと。
いよいよ終着駅に近付いて、いよいよ悲しゅうなる、いわば怖くなるというようなだけではなくて、そういう時に自分がせっせっこせ、いうならば貯め上げてきたその財産でもです、ね、それこそ合楽教会に、お供えしますというな遺言でも書かせていたら、ね、これなら絶対、いわばあの世への光の道が付くということを私は思うた時にです、もう最後の手立ては、もうこれ一つしかないと私は思うたです。
ね、自分がただ我情我欲でおかげを頂いておる、そしていうならば、終着駅に近づくことが淋しくなったり怖くなったりする時には、今は放せ切らんでも、自分が死んだならば、これこれはもう合楽に献納するんだ、お供えするんだというような、いうならば遺言状でも書いておけばね、これはいうなら、いうなら必ず極楽世界というか、合楽世界への道しるべになることを、私確信した時にです、はあ、ここに一つの手立てはこれだというふうに、まあ、研修の時に皆に話を聞いて頂いたことがございます。
ね、皆さん、どうでもね、御神徳を頂くために、それこそサルカニ合戦じゃないけれども、さあ今度は猿が、いうならばまた、カニの、を仇と付け狙うだろう。また同じ繰り返し、ね、栄枯盛衰は世の習いといったようなことではなくて、金光大神の道は、親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代と繁盛していくほどしの道が教えてあるのであるから、その道に出らなければならないということをです、お互いひとつ分からしてもろうて、ね、それこそ自分の周辺にはそういうおかげを頂かせよう、分らせようとなさる働き、模様しにもようされておるものを感づかせて頂いてです、ひとつほんとに切り替えた信心生活ということを願われるだけであります。
ね、お互いひとつ楠木太りのおかげを頂きたい、ね、それには今日申しましたようなことを内容として、いよいよ自分の心を育てて行かなければならない。
ね、ためには、一つ応接台を目指さなければいけない。
ね、言わんで済むおかげを、今日は小森野の高田さんが二人の息子を、ま、とても良い子です。二人とも娘と息子と、もう二人とも適齢です。二人連れてお参りさせて頂いて、私が、高田さんがこんなに申しました。
高田さんあんた毎日、ほんとにうちの娘は素晴らしい、うちの息子は素晴らしいち思いよるじゃろうねて、毎日神様にお礼ば申し上げよるじゃろうね、ちゅうたらそれこそ、目に涙をためてから、ほんと自分がそう思うとるもんだから、ね、神様にお礼を申し上げとるところまではいかんけれども、そう思うとる、というてまた娘と息子にもです、ほんとにこのお母さんが言うことには聞かにゃおられん、というようなおかげを頂いたときに、親子の道が開けてくるよというて、ま話したことでしたけれどもね。
お礼を申し上げんやならんところは、しっかりお礼を申し上げんと、開けるはずの道も開けません。
ね、ためにはどうでもです、内容をいよいよ切り替える、ね、それこそ黙っておっても、あの人がおってくれれば、大丈夫、私が昨日、その椛目の、池尻の、池尻勝美と言いますがね、勝美さんがお届けをした時にです、二人の私の長男、二男が、一緒に行くというのには、なんか心もとない感じがしたけれども、その勝美さんがお届けをした時にです、うん、この人が行くなら大丈夫と心が安らいだ。
そういうひとつの人物を目指したいです。
ね、その位神様に信用される、その位神様、親先生に信用される信者氏子を目指しての信心じゃなからなければならなんということです。どうぞ。